消せない傷跡


「……まもなく、出発致します」
 プルルルル、という音の後に、ドアが閉まる音が聞こえてくる。それを耳にしながら、私は座席の背もたれに身体を預け、目を瞑っていた。
「ん……まだ少し眠いかも……」
 激しく乱れ、喘いでいた麻衣ちゃんの姿を思い出しながら、眠たい目を擦る。少々寝不足のようだ。
「……しばらく、寝ておきますか」
 幸い、目的地に着くまでは大分時間がある。まず寝過ごすような事はあるまい。
「それじゃ、おやすみなさい……zzz」
 こう見えても寝つきはいい方だ。私の意識はすぐに闇へと落ちて行った……。



「あの、僕園長先生にここに行くようにって言われたんですけど……」
「ああ、貴方がそうなのね……ふふっ」
 値踏みするように僕の体を見ながら、そのお姉さんは僕に向かって微笑んだ。そして僕の顔を舐めるように見つめ始める。
「あ、あの……僕の顔に何か付いてますか?」
「えっ? ああ、そういうわけじゃないわ。それにしても……貴方、可愛い子ね」
 年上の女性にそんなことを言われ、僕は思わずどぎまぎしてしまう。
「かっ、可愛いって……僕、男ですよ?」
「男の子だろうと女の子だろうと、可愛いものは可愛いのよ。そんなことより……今日貴方がここに来た用事なんだけど」
 そうだ。僕が今日ここに来たのは、園長先生に僕を養子にもらいたいって人がいるって聞かされたからだっけ。どんな人なんだろう?
「とりあえず、奥の部屋に行くから付いてきてもらえるかしら?」
「あっ、はい!」
 僕はお姉さんの後に続き、ゆっくりと歩き出した。あまりどたばたと物音を立てないよう気をつけながら、扉の向こうへと進む。お姉さんは僕が入ったのを確認すると、後ろ手で扉の鍵を掛けた。
「えっ? 何で、鍵を掛けるんですか?」
「ああ、これは防犯上仕方ないのよ。あんまり気にしなくていいわ」
 そういうものなのかな。まあそういうことなら、あまり気にすることもないか。
「ここよ。私はここで待っているから、貴方一人で入って」
「は、はい……何だか、緊張してきたかも……」
「大丈夫。貴方可愛いから、きっと気に入ってもらえるわ……ふふっ」
 一瞬お姉さんが浮かべた笑みが気になったけど、僕は勇気を出してドアノブに手を掛けた。そして扉を開けて中に入る。中にいたのは、いかにも成金といった格好のおばさんだった。
「あら、可愛い子ね。名前は何ていうの? 年はいくつ?」
「い、石神明です。年は十二で、この前六年生になりました」
「そう、小学六年生なの。ふふ、こんな小さい子を好きにできるなんて……ゾクゾクしちゃう」
「……え?」
 今、何かおかしな事を聞いた気が。
「えっと、あの……あなたが、僕のお母さんになるかもしれない人なん、ですよね?」
「あら……まだ知らなかったのね」
 ……何か、嫌な予感がする。
「ふふ、そんなに怯えちゃって……本当、可愛いわぁ」
 そう言うと、おばさんはガマガエルのような顔を歪めてにたりと笑った。その笑みはまるで獲物を狙う猛獣のようで、僕は知らず知らずのうちに後ずさっていた。
「あっ、あの……知らないって、何がですか?」
「ああ……貴方はね、私に売られたのよ」
「う、売られたって……一体誰が何の為にそんな……!」
「何の為にかはすぐにわかるわ。さぁ……たっぷりと楽しませてもらうわよ。何せ、貴方には五百万も出したんだから」
 舌なめずりをしながら、おばさんがこちらへとにじり寄ってくる。その表情に何か恐ろしいものを感じ、僕は思わずドアに向かって走った。ドアノブをガチャガチャと回すが、外から鍵が掛けられているらしく、開きそうにない。
「逃げ出そうとするなんて、悪い子ねぇ……後でたっぷりとお仕置きしてあげるから、覚悟しなさい」
 そう言うとおばさんは近くにあった鞄に手を伸ばし、中から金属製の手錠、そして黒い鞭を取り出した。
「いっ、一体僕に何をするつもりなんですか!?」
「ふふ、本当はわかってるんじゃないの?」
 怖い。何だかよくわからないけど、少なくともこのおばさんが普通じゃないのははっきりとわかる。
「おっ、お姉さん! 助けて!」
 声を出して、外にいるはずのお姉さんに助けを求める。僕のそんな様子を見て、おばさんは醜悪な顔でにやりと笑った。
「無駄よ。言ったでしょう、貴方は売られたんだって。助けを呼んでも、誰も来ないわ」
 じわりじわりと、距離が詰められる。
「こっ、来ないでください! 何かしたら、園長先生に言いますよ!」
「あら、まだわからないの? 貴方を私に売ったのは、その園長先生よ」
「えっ……うっ、嘘だ! 園長先生がそんな事するもんか!」
 そうだ、あんなに優しかった園長先生がそんな事をするはずがない! きっと、何かの間違いに決まってる!
「まあ、貴方が信じようと信じまいと勝手だけど……それでも、私が貴方を買ったのは事実よ。貴方にはもう、逃げる場所なんてないの。さあ、良い子だからこっちにおいで」
「いっ、嫌だ!」
「口答えしない!」
 おばさんはそう言うと、手にした鞭を僕に向かって振りかぶった。そのままびしりと打ち据えられ、僕の体に鋭い痛みが走る。思わず僕は、声にならない悲鳴を上げていた。
「い――〜〜っ!?」
「さあ、これ以上痛い目に遭いたくなかったら、大人しくしなさい」
「ふっ、ふざけ……いぅ――〜〜っ!?」
 再び鞭が振るわれる。再び僕の口から、声にならない悲鳴があふれ出した。そんな僕を見ながらおばさんは、楽しそうな顔で何度も何度も鞭を振り下ろす。
「あっ、ひぃっ……!?」
 やがて僕がすっかり怯え切った様子になると、おばさんは鞭を振るう手を止めた。そして醜悪な顔を歪め、にたりとしか形容できないような笑みを浮かべる。
「わかった? 貴方はもう私の物なの。痛い目に遭いたくないのなら、反抗しないで大人しく私の言う事に従う事ね」
「うっ、ぐすっ……わ、わかり、ました……」
 涙を目に浮かべながら、そう答える僕。おばさんはそんな僕に、後ろで手を組ませて手錠を掛けた。さらに鞄の中から首輪を取り出し、僕の首に付ける。
「ふふっ……思った通り、よく似合ってるじゃない」
「こ、こんなのやだよぅ……」
「……口答えするつもり? もしそうなら……」
 ひゅっという風切り音を響かせ、鞭を宙で振るうおばさん。
「ひっ……! ごっ、ごめんなさい!」
「そうよ……貴方は、私の言う通りにしてさえいればいいの」
 そう言うと、おばさんは僕を連れて外へ向かった。玄関口には中が見えない車が止まっていて、僕はその中へと押し込められた。その後、おばさんも隣の席に乗り込む。
「さあ、早く家まで行きなさい」
「……わかりました、奥様」
 運転席にいた男が、抑揚のない声でそう答える。そして僕を乗せた車は、絶望へと向かって進みだした。



「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……ゆ、夢か……」
 悪夢から覚めた私は、ばくばくと振動する心臓を落ち着かせるべく、深呼吸を繰り返した。やがて荒かった呼吸も、徐々に通常のそれに変わっていく。
(それにしても、またあの時の夢を見るなんて……先輩の治療を受けてから、収まっていたはずだったのに……)
 あの悪夢は、実際に私が体験した出来事そのものだった。その半年後、孤児院を経営していた園長が身寄りのない子供達で人身売買を行っていた事が明るみに出て、そこから芋づる式にあの女も逮捕され、私は救出された。けれどそれまでに受けた筆舌に尽くしがたい悪夢のような出来事は、救出された後も私を苛み続けていたのだ。
 そしてそんな私を救ってくれたのは、先輩の催眠であった。まあその際、色々とえっちな事もされたわけだが。
(先輩……本当に生きているんだろうか?)
 師匠は、先輩は間違いなく死んだと言っていた。先輩の両親からは、先輩は轢き逃げに遭い亡くなったと聞いている。そして自分も、先輩の葬儀には参加したのだ。だが……。
(それなら、あのビデオに映っていたのは誰なのか)
 仮に別人だとするなら、どうして自分にあんなビデオを送りつけてきたのか。その目的は何なのか。考えてみるが、答えは出そうになかった。
『次は〜、××××〜、××××〜』
「……っと、もう着くのか」
 あれこれ考えた所で結論など出るはずもない。まずは言われた場所に行ってみよう。そう考え、私は荷物をまとめ始めた。





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