「そこをなんとか」

福原祐美子は必死に頭を下げていた。

「と言われてもねぇ…」

黒川文也は椅子にもたれながら祐美子を眺めていた。

「お願いします」

「こっちももう何ヶ月もそう言われてるんだ。でもその中で一月の利子分でも払えたかい?」

「……」

「だろうが」

文也はタバコに火をつける。紫煙とともに長いため息を吐いた後、祐美子は再び懇願した。

「なんでも、なんでもしますから」

「だから身を売れと言ってる。それだけで結構な額になるんだ」

「そ、それは…」

「いつもこれだよ」

俺の身にもなってくれよ、と肩をすくめる。

「あの男も悪いけどな、あんたも悪いぞ。あんな夢だけを追うような奴についていくんだもんな」

確かにそうだった。

一年前、彼女の夫は会社を興そうとし、失敗して借金だけが残った。

夫は私と子供を置いて蒸発してしまった。

後には『借金地獄』という世界。幾らか返しても利子ほど返せずまた借金が増える。

その上赤ん坊と五歳の娘を養わないといけなかった。

祐美子が黙り込んだのを見ると、文也は再びため息を吐いた。

「ひとつだけ、方法がある」

突然だったため祐美子は理解できず、「何のですか?」と聞いてしまうほどだった。

「借金返済のだよ」

しばらく、呆、とした後祐美子は喜々として詳細を聞いてくる。

「だが、短期間では返せないし、俺はあまり勧めないぞ」

「それでもいいです!どんなことですか?」

文也はしばらく考え込むと仕方なしに話した。

「クスリのモニターだよ」

「クスリ…って……麻薬…ですか?」

「麻薬ではなく、研究されている新薬だ。」

祐美子は安堵の表情を浮かべた。麻薬でないのなら安心だろうと。

「ただし、どんな副作用があるか分からない」

一言で祐美子の表情は凍った。

その様子を見た文也は、「だから勧めなかったんだ」といわんばかりに顔を背け息を吐く。

また部屋に紫煙が広がった。

「まぁ、今までの仕事もする、という選択肢もあるが、そろそろ取立てが厳しくなるぞ」

「……他には、何かないんですか」

「こちら側が他に求めるモノは、臓器や女中、人体実験用のモルモットなどだが」

「………」

結局、祐美子はこの話を引き受けることにした。

数ある選択肢の中で一番良いだろうと信じて…

 

数日後の夜、祐美子はある建物に呼ばれていた。

少し時間に早く着いた祐美子は、その場所でぼんやりと空を眺めていた。

何処までも暗く何処を見ても月だけが存在しなかった。その夜は新月であった。

まるで私の人生のよう、いつも一緒にあると思っていたものさえなくなった。

そんな詩人のような考え事をしながら、自嘲気味に笑っていた。

しばらくすると文也がやってきた。

「あっちに車があるからそれに乗って研究施設に行くぞ」

「ここが研究施設じゃないんですか?」

文也は訝しげな顔をした。

「こんなところで研究なんかしているとでも思ったか?」

祐美子がその建物を見る。

派手な装飾、まぶしいくらいの様々な色の光。

もう電気は消えつつあるが、どう見ても遊園地であった。

どうやら惚けていて気がつかなかったらしい。

「あはは…そうですよね」

祐美子は自分のばかさ加減に呆れつつ車に乗った。

 

「……」

二人はその研究施設とやらに着いた。

そこで祐美子は呆然としている。

「何をしている、早く来い」

「あの…ここ、本当に研究施設なんですか」

「そうだよ」

そう言って文也は中に入っていく。

祐美子にはどうしても信じられなかった。

どう見ても廃屋にしか見えない。

祐美子は遊園地と変わらないほどありえないと思っていた。

少し考えていたが一人になっていることに気付くとその建物に急いで入った。

中は予想通りとても荒れていた。

資材や建築用の機械などがそこら辺にあり、壁にはスプレーで書いた落書きもある。

扉は風が吹くたびにギイギイいって気味が悪い。

「何をしている!早く来い!」

文也が隣の部屋から叫んだ。

祐美子が声のした部屋に行くと男が待っていた。

「一つ、確認していいか?」

文也が祐美子に訊く。

「本当にこの仕事を引き受けるんだな?実験体にされるんだぞ?」

今ならまだ間に合う、と。その顔はいっていた。

「引き受けます。ただ薬のモニターになればいいんですから」

「どんな薬で、どんな作用があってもか」

祐美子は戸惑い俯いた。

「…はい。それで夫の借金が返せるなら」

が、すぐに決意すると文也を見上げはっきりと言った。

「…そうか」

文也は沈痛な面持ちで一言だけそう言った。

そして部屋の中心に向かうと、いきなり屈んで床を叩き始めた。

「何してるんですか?」

文也はその問いを無視して床を叩き続けたが、しばらくするとその場所を離れた。

それと同時に文也がいた場所の床が動き出す。

やがて階段が現れて、そこから作業着を着た男が出てきた。

「よう、久しぶりだな」

「ああ、一ヶ月ぶりだ。研究はどうだ?」

「順調に進んでいるようだよ」

作業着の男は口をあけて硬直している祐美子のほうをちらりと見、

「で、あれは何だ?」

と、親指で祐美子を指して訊いた。

「お客様だ」

「何でこんなところにいるんだよ」

「薬のモニターの仕事。お前も聞いているだろう?」

ああ、と作業着の男は手を打った。

「だが、今日来るなんて話、聞いてないぞ」

「急に決まった。それで、お偉いさん方を呼びたいんだが、その間任せられるか?」

「この女をか?」

文也が頷く。作業着の男は仕方なくと言った感じで答えた。

「分かったよ。それで、何をしてやればいいんだ」

「適当な話やこの施設のことを話してやればいい。ただし」

「部外秘は話すな、だろう?何回も聞いてるよ」

「それじゃあよろしく頼むぞ」

そうして文也は外に出た。

「おい、女。早く来い」

だが祐美子はまだ惚けている。

「女!」

「は、はい!」

「いつまで惚けてんだ!早く来い」

そうして男に連れられ、地下に入っていった。

 

やがて文也が違う男とやってきた。

新山恭二といって文也のボスらしい。

祐美子はその二人と一緒に奥へと進んだ。

『実験室』と書かれた部屋で立ち止まったが通路はさらに続いており、奥はとても騒がしかった。

実験室に入るとすでに白衣を来た女性が待っていて、装置の点検などをしている。

「おい」

恭二がその女性を呼ぶと、女性は手を振りながらやってきた。

「お久しぶりー。んで、この子がモルモット?」

恭二は女性の頭にチョップを入れた。あう、という声が響く。

「お前はその口の悪さを早く直せ。モニターだ」

「すまないな、この方は物事を自分のいい方向に考える癖があるんだ」

文也がフォローを入れる。

祐美子は、いえ、と苦笑しながら軽く手を振った。

「はぁーい、わたしここの所長の新山美代子。んで、この人の奥さん」

と言って恭二の腕に抱きつく。

またチョップが入り、あう、という声が響いた。

「早く実験をしろ」

「はいはい。…ったく、久しぶりにはいいじゃんかよ」

「あとでならな」

「本当!?約束だよ!」

「いいから早くしろ」

「はぁーい」

祐美子の印象としては能天気で素直な人、だった。

それから祐美子はガラス張りの隣の部屋でいろいろな装置をつけられた。

それらは脳波、血圧、心拍数などを測るものである。

「じゃあ、これのんでしばらく待っててね」

と、錠剤と水を置いて隣の部屋に移った。

「あの薬は何なんだ」

扉が閉じられてから恭二が訊く。祐美子のいる部屋とは防音されていた。

「あれは、サンプルNo.1『ヒプノシス』Ver4.2。知ってるだろ?

 あのサリドマイドという催眠剤を改良しながら作っている代物だ。

 これを服用すると副作用無しで一気に催眠状態にできる。問題はその先だ。

 以前はすぐに効果が切れる上に依存性が高いせいで短時間で投与し続けなければならなかった」

「何人かの廃人が出たときのやつだな」

そう、と美代子が頷く。

「でも今回のは違うよ。少し遅効性が増したけど、依存性の方はかなり低く出来た」

「そうか。それで、他の薬はどうなっている」

「サンプルNo.2の『インスティンクト』、サンプルNo.3の『リラクゼーション』も実験が出来る。

 他はこの三つの姉妹薬とサンプルNo.4『フィルター』の研究中」

「その二つも今日やる予定なのか」

「いや、一日に違う薬を与えるのは…ちょっと待って、反応があったみたい」

美代子が画面と祐美子を見て呟く。

恭二と文也はガラスの向こうの祐美子を見た。

祐美子は先ほどと変わらずイスに座っていた。

ただ違う点と言えば、眠っているかのように静かでどこを見ているかわからないという事だ。

「じゃあ、ちょっと行ってくるから」

美代子は隣の部屋へと移った。

それでも祐美子は何も反応しない。

美代子が一息おき祐美子の対面に座ると、二、三問の質問をした。

途切れ途切れになりながらも祐美子はそれぞれに答えた。

美代子は祐美子が催眠状態にあることを確認すると、近くにあったメトロノームを取り出す。

「今からこのメトロノームを動かします。あなたは音が鳴るとどんどんおちていきます」

カチ、カチ、カチという音がゆっくりと部屋に鳴り響く。

「次第にあなたは何も考えられなくなる。私の声とメトロノームの音以外何も聞こえなくなる」

しばらくして美代子が部屋から出て恭二に尋ねる。

「とりあえずどんな暗示を与えておく?」

「そうだな…ここの秘密を守る事と明日は子供二人も連れてくる事ぐらいだ」

「キーワードは?」

「任せる」

オッケー、とまた部屋に戻った。

すると、文也が恭二に訊いた。

「やっぱり子供も…使うんですか」

「当たり前だ。明日には死ぬかもしれない薬のモニターだけで、こいつの借金が返せると思うか。

 確か赤ん坊と五歳のガキだったな…女中としての教育係も必要だな」

恭二の目的はそれだった。

確かにモニターも必要ではあったが、やはり女中の方が需要も価格も高かった。

それを知っていたからこそ文也は祐美子に勧めなかったのだ。

「それで、あの女はどうなるんです」

「『ヒプノシス』を使って借金以外の記憶を消す。その後はまたモニターの仕事。

 完成した薬から試して生きている間は、女中か研究施設の性処理道具になってもらう。

 まぁ、これさえ上手くいけば廃人になる心配はまず無い。せいぜい全身麻痺か思考不可だろう」

クク、とこぼし笑いをする恭二。

文也は怪訝な顔つきで恭二を見ていた。

 

祐美子は一年後に死んだ。

死因は『インスティンクト』の姉妹薬『バーサーカー』による筋肉崩壊。

元々『インスティンクト』は本能を高めるものであり、その応用として軍事利用が挙げられていた。

それが『バーサーカー』であり、その名のとおり狂戦士を作り得る薬であった。

しかしこの結果により当面は研究を先送りにした。科学力が追いついていなかったからだ。

二人の子供は女として借金返済に励んでいた。やがて借金は全額返済されることとなる。

しかし恭二が金の源泉を見逃すわけが無い。

二人は「まだ借金が残されている」と騙され、知らない男の子供を身籠り、その子供も使われる。

こうして祐美子の家系は末代までその生活を強いられた。




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