都内某所にある、小さなマッサージの店。そこが私の仕事場だ。基本的に施術は私一人で行うため、客がそれほど多くなくても結構忙しかったりする。

 そんな私の楽しみはただ一つ。私好みの男が訪れた時、その男を篭絡して思うままに操ること。

 ほら、今日も獲物がやって来た。どんな男だろうか……

 

 

 

「いらっしゃいませ、初めての方ですか?」

 いつものように私は笑顔で呼びかける。そしてにこやかな表情を崩さぬまま、相手を値踏みする。

(どれどれ……すっ、すごいっ! どこかのモデルさんなのかしら? こんな人って、現実にいるものなのね……)

 その男は、恐ろしく優れた容貌の持ち主だった。艶のある黒髪には寝癖など欠片も見当たらず、しっかりとこちらを見ている大きな瞳からは強い意思が感じられる。決して痩せすぎではないすらりとした体つきといい、滑らかそうな肌といい、在り来たりな言葉だが、とてもこの世のものとは思えないほどだった。

「……何か、私の顔に付いているのか?」

「あっ、いえ、申し訳ありません。すぐに準備しますので、少々お待ちください!」

 少しの間ぼうっとしていたらしい。慌てて私は奥の施術室に向かい、準備を整える。

(それにしても、いい声だったなぁ……ちょっと渋い感じの声だったけど、何か妙に魅力的だったっていうか……)

 先程聞いた声を思い返し、思わずうっとりとする私。それと同時に、彼をもっと感じたい、自分だけのモノにしたいという欲求が強まっていく。

(……決めた。彼は絶対に私のモノにしてみせる!)

 私は特製のアロマキャンドルに火をつけ、特別なCDをセットしてスイッチを入れた。

 このアロマキャンドルは普段使うものとは違い、ある種の催眠導入剤と似たような効果がある。そしてこのCDには聞くものを暗示にかかりやすくする効果がある。しかも都合のいいことに、今日は彼が最後の客だ。それはすなわち、邪魔が入ることもないということ。

(待っててね……すぐにあなたを、私の虜にしてあげる。うふふ……)

 湧き上がるよこしまな感情を抑えつつ、私は彼を施術室に迎え入れた。

 

 

 

「……はい、まずはここにうつぶせになってくださいね〜♪」

「ああ、わかった」

 軽くうなずくと、彼はベッドの上でうつぶせになった。

「今日はどのあたりを重点的にマッサージしましょうか?」

「……肩と腰、それから肘の辺りを重点的に頼む。最近凝ってるらしいんでな」

「はい、わかりました。それじゃ始めますね〜♪」

 まずは肩から腰にかけてのラインを念入りにマッサージする。確かに彼が言っていた通り、かなり凝っているようだ。

「だいぶ凝ってますね〜、お客さんいつも座っている事が多いんですか?」

「まあ、職業柄そうだな……わかるのか?」

「ええ。ひょっとして、小説家か何かですか?」

「……そんなところだ」

 そう言うと、男は再び黙り込んだ。普段からあまり喋らないタイプなのか、それともマッサージに集中しているのか、それ以上喋ろうとはしなかった。

(もったいないなぁ……すごくいい声してるのに……)

 そんな事を考えながら、マッサージを続ける。

(まあいっか、モノにした後なら好きなだけ声を聞かせてもらえるわけだし。どんな感じに喘ぐのか楽しみだなぁ……うふふ♪)

「強さはこのぐらいでいいですか〜?」

「ああ、ちょうどいい……」

 何気ない会話を続けながら、相手の様子を伺う。マッサージの強さを少し強めにしたり、弱めにしたりと変化をつけて反応を見るが、あまり反応はなかった。ひょっとすると、これは……

「……あの〜、お客さん眠かったりします?」

「昨日、締め切りで忙しくてな……」

 もしかしてと思って言ってみたが、どうやら正解だったらしい。これは好都合だ。寝不足の相手なら、催眠術もかけやすい。

「それじゃ、終わったら起こしますから寝てもらっても構いませんよ」

「そうか……じゃあ、頼む」

(……よし! 後は暗示をかけるだけ……慎重に行かないとね)

 なるべく眠りを妨げないようにマッサージを続けながら、辛抱強く機会を待つ。

 数分後、男の静かな寝息が聞こえ始めた。

(頃合は良し! じゃあ、早速始めちゃいますか♪)

 完全な眠りに入る前に、暗示をかけてしまわねばならない。起きないように気をつけながら、言葉を選んでゆっくりと口に出す。

「そのまま私の言葉を聞いてください。私がマッサージを続けると、貴方は蕩けるように気持ちよくなっていき、だんだん私の声しか聞こえなくなっていきます。私の声を聞くと、その内容は貴方の心の中に刻み込まれていきます」

 マッサージを続けながら、囁くように、だがはっきりとした声でメッセージを送り込む。まずは、第一段階から……そう考えながら私が新たなメッセージを伝えようとした時。

「マッサージとアロマキャンドル、それに音楽を組み合わせた催眠術か。中々大したものだが、私には通用しない」

「……えっ!?」

 見れば、いつの間にか男は起き上がっていた。つい先程まで目の前の寝台でうつぶせになって寝ていたはずだったというのに。

「なっ……何で私の催眠が……」

「『動くな』」

 慌てて距離を取ろうとした瞬間、男はそう叫んだ。瞬間、私は突然動けなくなっていた。

「えっ!? あ、貴方何を……」

「『勝手に喋るな』。そして、『こちらの質問に答えろ』」

 再び男が声を出す。あのどこか魅力的な声。それを聞いたと同時に、私は話すことも出来なくなっていた。

(何!? 一体何なの!?)

 当惑する私に構わず、男は

「まず一つ目。お前は何のために俺に催眠をかけようとした?」

「私は……貴方を私の虜にしたくなったの。だから、催眠術を……」

(……っ! 口が、勝手に!)

 私の意思とは関わり無く、勝手に口から言葉が発せられる。止めようとしても、止める事は出来なかった。

「……二つ目。お前はどのような暗示をかけて、私を虜にするつもりだった?」

「まずは、貴方の体が私に触れられると敏感になるような暗示を、次に……」

(嘘、どうして!? まさか私の方が催眠術を!? でも、そんな時間は……それに、かけるチャンスなんてどこにも……)

 でも、もし催眠術をかけられていたのだとしたら、つじつまが合う。

 動くな、と言われて動けなくなった。

 喋るな、と言われて話せなくなった。

 そして今、質問に答えろ、と言われて答えている。

(でも、でも……催眠術で、ここまで強力な暗示をかけることなんて……)

「ああ、言っておくが私の『これ』は催眠術ではない。似たようなものではあるがな」

 まるで心を読んだかのように、男はそう答える。私は背筋がぞくりとするのを感じていた。

(わ、私……まさか、とんでもない人を相手にしてしまったんじゃ……)

 私が今更ながらに後悔している間にも、男の質問は続く。今まで何人に催眠をかけたのか、どこで催眠術を習得したのか、どのようなプレイが好きなのか、初体験はいつだったのか、等々……そしてそれらの質問の度に、私の口は明確な返答をする。

 やがて聞きたい事はあらかた聞きつくしたらしく、男は話すのを止めた。そして、私の方へ一歩進み出る。

「やれやれ……どうしてこうも世の中には、相手の事を考えない連中が多いのやら。全く嘆かわしいとしか言いようがないな」

 呆れたような口調でそう洩らす男。その目は笑っていない。

(こっ、怖い……やらなきゃよかった……私、どうなるの!? ひょっとして、ここで死ぬの!?)

「……何だ、死にたいのか?」

 事も無げにそう言われ、私は恐怖で体を震わせ、首を横にぶんぶんと振った……つもりだったが、体は全く動かなかった。

「ふん……最初から覚悟もないのに、下らん真似を……少し、罰を与えてやるか」

(罰!? い、一体何をされるの!?)

 罰、という言葉に怯える私。男はそんな私を蔑むような目で見ながら、命令を下す。

「まずは……『自分で服を脱げ』。下着もだ」

 男の声を聞いた次の瞬間、私の手が勝手に動き、服を脱がせ始める。抵抗も出来ず、あっという間に私は生まれたままの姿にされてしまった。

「次は……そうだな、『私にはっきり見えるようオナニーしろ』」

 再び、私の手が勝手に動き、胸を揉みはじめる。同時に指先は乳首を弄り、徐々に私の身体を高まらせていく。

(やっ……そ、そんな……! うっ、ああっ……!)

 自分でしている時のように手馴れたそれは、確実に私に快感を与えていた。だがいくら気持ちよくても声を出す事は出来ないし、歯を食いしばって耐えることも、身体をよじって快感を紛らわせる事もできない。機械的に与えられ続ける快感を味わいながら、快感は逃げることなく蓄積されていく。まだ胸しかしていないのに、私は既にイッてしまいそうになっていた。

「いつまで胸ばかり弄っているつもりだ?」

 そんな彼の言葉に答えるように、私の右手は胸から離れ、身体のあちこちを撫でるように動き始める。そして股間へと辿り着くと、ゆっくりとそこを弄り始めた。そこは既にぐっしょりと濡れている。

(う、ああ……こ、こんなの……)

 与えられる刺激はひどくもどかしく、すぐに達するほどではない。自分の意思で身体を動かせるなら、もっと激しくしていたことだろう。だが、今の自分にはそれが出来ない。

 やがて、指の動きが徐々に激しくなりはじめた。じらして気持ちよくするための動きから、登りつめるための動きへ。そして私がようやく達しようとしたその寸前。

「『そこまでだ。手を止めろ』」

 途端に、私の手はぴたりと動きを止めてしまった。イく寸前の快感が蓄積したまま、発散されていない状態。あと少しでイけたというのに……そんな思いが頭に浮かぶ。

(そ、そんな……こんなのって……)

「どうした、もっと弄りたかったのか?」

 返事はできないというのに、男はそんな事を言ってくる。はいと言いたくても、これではどうすることもできないというのに。

「ふむ、返事がないな。ならば私は行くとしよう」

 そう言って、出口へと向かい始める男。このまま放って置かれるのでは……という絶望が頭を占め始めたその時、男はくるりと振り向いた。

「……本気にしたか? 安心しろ、ちゃんと続けてやる。どうなっても知らんがな」

(そんなのどうでもいいから、早くイかせて!)

 こんな状況のまま放っておかれるより辛いことなど、あろうはずもない。そう考えた私は、胸中で何度も頷いた。

「では……『先程の続きをしろ。ただし、絶対にイくな』」

 ……そんな私の考えは、どうやら甘かったらしい。

 

 

 

「……っ! …………っ!」

 私の指が、手が、私の身体を弄る。だが達しそうになると、その動きは緩慢なものへと変わり、決して絶頂を許さない。

 結果、逃れることの出来ない快感だけが蓄積し、私は決して聞こえない叫びを上げ続ける。

「どうした? 続けたかったのだろう?」

(確かに続けたかったけど、これじゃ……!)

 生殺しの快感。身体が自由ならもっと指を激しく動かして絶頂に向かうところだが、それは叶わない。

 そんなことをどれだけの間続けていただろうか。黙って私が乱れる様を見続けていた男が、口を開いた。

「……どうだ、イきたいか?」

(イきたい! 今すぐイかせて!)

「やれやれ、浅ましいことだな。今その望み、叶えてやろう」

 即座に、私は答えを返す。聞こえぬはずの叫びが届いたのか、男は私を蔑むような目で見下ろしながら、そう言った。

「では……『思う存分喘ぎ、気を失うまで何度でもイき続けろ。決して手を止めるな』」

 男の言葉を聞いた瞬間、私の手は私を絶頂へと押し上げるために激しく動き出した。

「うああっ、ふぁぁん! ひゃっ、ああっ、ああああああああああ!」

 既に出来上がっていた身体では我慢することも出来ず、ものの数秒で私は達していた。だが、それでもなお、手は私の身体を執拗に責め続ける。

「やああっ、まっ、待っ……くあああっ!? やっ、止め……」

「イきたかったのだろう? 存分にイき続けるがいい……快感で、正気を失ってしまうくらいに、な」

「ひっ……ああああっ! た、助け……ああぅっ!」

 手の動きを止めてくれるよう哀願しようとするが、快感に邪魔されてまともに話すこともできない。何度も何度も、私はイき続ける。

(こ、このままじゃ本当におかしくなっちゃう……!)

 危機を感じた私は男に哀願の視線を向けたが、男はただ冷ややかに私を見下ろしていた。その視線は酷く冷たく、まるで醜いものを見るかのような目だった。

「いい様だな。そのまま放っておくのも、罰としてはちょうどいいだろう」

「うっ、ひあああああっ、あっ、あああああああ――――っ!」

 男の、残酷な台詞。それを聞くと同時に、私は大きく身体を震わせて達し――そのまま意識を失った……。

 

 

 

 それから数時間後、彼女はようやく目を覚ました。しばらくの間目をパチパチさせていたが、やがて完全に覚醒したらしく、背を伸ばしてうーんと唸る。。

「私、いつの間に寝てたのかな……あれ? 何でこんなにシーツが湿ってるんだろう?」

 不可解そのものといった、怪訝な表情を浮かべる彼女。おかしな点はそれだけではない。身に付けていたはずの服が、床に散らばっていたのだ。だがそれを見ても、彼女は何も思い出さなかったようだ。

「寝ぼけて脱いじゃったのかな……っと、もうこんな時間! 早く玄関を閉めないと」

 そう言うと、彼女は慌しく玄関へと向かった。

 

 

 

 それとほぼ同時刻、男は都内にある喫茶店にいた。男は一人だというのにテーブル席を占領し、ノートパソコンを前になにやら唸っている。傍らにはコーヒーのカップが一つ。

「どうもしっくりこないな……ここはやはり、変えるべきか……?」

「あの〜、もう閉店時間なんですが……」

「む、もうそんな時間か」

 と、そんな彼に一人の店員が声をかけた。男は煩わしそうにしながらも、渋々といった感じでノートパソコンを持っていたカバンに仕舞い込む。そしてレジでコーヒーの代金を支払い、店を出た。そして歩き出そうとしたその時、一人の青年が彼を見つけて近づいてくる。

「師匠、ここにいたんですか。どこにいるのかと思って探しましたよ」

 男は一瞬びくりとしたが、青年の顔を見てほっとしたような表情を浮かべる。

「……何だ、明か。急に声をかけるな。てっきり担当かと思っただろうが」

「……ひょっとして締め切り、過ぎてるんですか?」

「失礼な。ただちょっと気に入らん箇所があるので、締め切りギリギリまで粘ってるだけだ。それより、何か用か?」

 あんまり自慢できないようなことを言いつつ、用件を尋ねる男。

「ええ、ちょっと相談したいことがありまして……ここじゃ何ですし、場所を変えましょう」

「……まあ、一応話だけは聞いてやるとしよう。で、どこへ行く? ここからなら私の家が近いが」

「なら、お願いします」

「……付いてこい」

 そう言うと、男は青年を連れて歩き出した。




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