扉の向こうへ

柔らか日差しが部屋に差し込む穏やかな午後。
冬の気配も薄れ春の足音が聞こえる、暖かなマンションの一室。

なのに…
「……同性愛!?」
静かな空気を吹き飛ばす場違いな単語が、場違いな音量で響く。
この、無粋な叫びを上げた犯人は…まぁその…私なんだけど。

私は慌てて顔を上げ、目の前に座る女性の様子を見る。
「あ…えーと。別に偏見とかじゃないのよ?
 ちょっと慣れない単語だったから、驚いちゃって」
女性は恥かしそうに俯いて応えない。

気まずい空気に困った私は、慌てて話題を変えようとする。
「え、えと…どうして、このカウンセリングルームへ?」
あ、説明しておくとね、ここはマンションの一室を借りたカウンセリングルームなの。
そして私はこのカウンセリングルームのオーナーにして、現役女子高生カウンセラー、森下美奈なのです。えっへん。

「誰にも相談できずに悩んで……。ここの事を知って、診療方法を聞いた時…助けてくれるかもしれないと思って……」
ポツリ、思いつめた声で話し出す女性。
私より4つ年上だという大人の女性は、しかし、頼りなくて私よりも年下にさえ感じる。

彼女の資料に、もう一度目を通す。
岡田恵理、大学生。
今までの経歴を見ても、ごく普通の生活を送っていたみたい。
学校に行って、勉強して、バイトして、恋をして、彼氏と付き合って。
平凡ながらも幸せな人生。そう、数週間前までは。
ところが…
「同性愛…ね」
「自分でも、原因が判らないんです。何のきっかけも無かったし、彼の事は今でも好きなのに…」
言葉は途中で湿り気を帯び、嗚咽を抑えながら声を絞り出すようになっていた。
「ああっ…だ、大丈夫。恵理さんの悩みはきっと、私が解決しますから、ね」
「はい…はい。どうか、お願いします。先生だけが頼りなんです」
深々と頭を下げる彼女に、私は必ず助けてあげようと決意を固めていた。



さて、彼女を何とか助けてあげるとして、何から始めよう。
「恵理さん。さっきも言ってたけど、きっかけには全然、心当たりが無いの?」
「ええ。そもそも、診断書に書いてある、その…それは…」
「…同性愛?」
「は、はい。それだって、実際にそうなのか判らないんです」
「え?」
「彼の事は好きだけど、以前から触れられるのは怖くて…その上、数週間前からは可愛い女の子を見ると…急に胸が苦しくなって、お腹の辺りが…」
うーん、話の前半だけなら良くある相談なんだけど、後半の部分に心当たりが無いとなると…。
「憶えてない昔の事か、無意識に忘れようとしてる事…かな」
「先生?いったい、何の…」
「あ、意外と多いらしいのよ。覚えていない事の影響を受ける人って」
「はあ」
私が診た事例ではないけれど、子供の頃に見たヒーロー番組で、ヒーローがピンチのシーンに興奮して、そういった類の性癖を持ったと言うケースもあるらしい。
その人も、きっかけとなった番組の事などは忘れてしまっていたらしい。
無意識の記憶と言うのは、怖いものなのである。
「少し、記憶を探る必要があるかな…。心の準備ができるまでは無理強いはしないけど」
私の言葉に、恵理さんは少し考え込み
「分かりました、お願いします。そのために来たんですし…」
意を決して答える。
「うん。それじゃ、退行暗示、試してみようか」
「退行…暗示?あの、それってつまり、催眠術…ですよね?」
「もちろん。それがこのカウンセリングルームの診察ですから」
「それは…知っていますけど…」

そう、催眠術。
それが私の特技であり、現役女子高生でありながらカウンセラーでいられる所以。
数年前、テレビで催眠術の特集を見て、同じ要領で家族にかけてみた事がある。
これが大成功で、この才能は活かさない手はないと言う事で、周囲の人達の協力で、このカウンセリングルームを立ち上げる事ができたのだ。
「でも、それで…本当に原因が解かるんでしょうか」
さすがに恵理さんは不安気だ。決心はしていても未経験の事に対する恐れがあるみたい。
「大丈夫。原因が必ず見つかるとは限らないけど、何かしらの手がかりは掴んで見せますから」
自信を見せる私に恵理さんは、ようやく安心した表情を見せる。
「そう、ですよね。先生を頼るって言ったんだし…私、先生を信じます」
その答えに私は頷き、誘導を開始した。



「さあ、ゆったり…身体がふわふわして、とっても軽い…」
催眠開始から数分。
彼女は脱力してソファーに座っている。
浅い眠りに落ちたように、夢うつつを彷徨う恵理さん。

なんだろう。催眠の深度を上げながら、私は妙な違和感を感じていた。
彼女の被暗示性が予想以上に高かったからかな?
私の方が拍子抜けするくらいに、すんなりと事が進んでいるから、違和感を感じたのかもしれない。
とにかく、今のところは順調な以上、気にしても仕方ないんだけど…。

「さあ、気を楽にして…ゆっくり、深ぁく息を吸って……。
 これから私が、数を数えていきます。数がひとつ小さく低くなるたびに、あなたはひとつ、若返っていきます……」
恵理さんが息を吸う。深く、ゆっくりと吸い込み、静かに吐き出す。
…吸う……吐く………吸う………吐く………。
彼女の呼吸を確かめて、私は数を数えてゆく…。
恵理さんの今の年齢。ひとつ、少なく。またひとつ、少なく…。
「………19…18…17……」
わずかな変化も見逃すまいと、彼女の様子を注意深く観察する。
まだ反応は、ない。
「……14…13…12………」
ピクッ。うごいた!
「恵理さ…恵理ちゃん、あなたは、今、何歳ですか?」
言葉を区切って、ゆっくりと訊ねる私。
「……じゅぅ…に…さい…」
どこか遠くを見つめるような視線でこちらを見上げながら、彼女がぼぅ、っとした声で答える。
私の方を見ながらも、その目は私を捉えていないだろう。
「それじゃぁ、恵理ちゃんは、どこに居るの?」
「…びょういん」
病院?
そう言えば、子供の頃に1度だけ入院経験ありって、資料に書いてあったかな。
そんな事を考えながら私はなぜか、違和感が強くなるのを感じていた。
「病院で、何があったのかな?」
「看護婦の…おねえさんが…入って、来て……」
「看護婦のお姉さんは、何をしたの?」
私は質問を続ける。
もう少し、もう少しで、何か手がかりが掴める。その一念で質問に没頭していく。

違和感は、さらに強くなる。
催眠で記憶を戻した場合、普通はもっと、印象に残った部分ばかりを話されて、脈絡の無い会話になる事が多いものなんだけど…。
今回の場合、質問と返答がずいぶん順序だてて流れている。

「なんにも…しない…。話……してる、だけ…」
鷹揚がなく途切れ途切れの、恵理さんの言葉を聞き漏らすまいと、私は彼女の声に集中する。
「お姉さん、は…どんな事を……言っていたの…?」

…………

返ってこない返事に不安になって、彼女の様子を窺った。
大丈夫。まだ、覚醒していない。眠たげな表情を確認して、私は一安心する。
彼女は虚ろな眼で、目の前の私を見つめていた。
その像を結ばない瞳と、私の視線が交差する。

恵理さんの口が動く。10年以上の歳月を経て、彼女が聞いた言葉が、彼女自身の言葉となって再現される。
「…あなたは、私から、目を、逸らせない……」
彼女の虚ろな眼が、私を捕らえる…。
眼が…離せない…?
「……私の、声だけ、聞こえる…。他には、何も、聞こえない」
知らない人の言葉が、恵理さんの声を介して、私を縛る……。
彼女の虚ろな瞳に、私が写し出されている。
その表情もまた、彼女と同様に、トロンと虚ろな眼をしていた。

…そうか…違和感の正体は、これだったんだ。
彼女の被暗示性が、高かったのも…。
質問に、的確な返答を返したのも…。
こんな事が…出来るなんて…信じられない…けど………。
私は…過去の催眠に……誘い、込まれて…いたんだ。



恵理さんの声が、耳に届く…。
音の無い部屋でその声は、頭の中に染み込むように入ってきた。
「…身体が、重い……力が…入らない……」
私に向けられた…言葉じゃ、ない。
そのはず、なのに…。
肩から…肘から…力が抜ける…。力が抜けると、手が重くて…下に、下に、引っ張られていく……。
「あなたの……お名前は?」
「もりした…みな……」
…違う。……私への…質問じゃ…ない。
それなのに、私の口は…ひとりでに名前を告げていた…。
「……あなたの…手が…動き出す……。…右手が…ひとりでに、持ち上がる………」
ぴくり。私の右手が、恵理さんの声に導かれるまま、動き出す。
さっきまで、まるで力が、入らなかったのに…。
「…手は、そのまま……あなたの、胸へ…。胸を…やさしく……撫で、回す…」
「…手は…わたしの……胸へ……」
ぼんやりと…言われたまま、言葉を繰り返す…。
「………胸は、心の扉……」
「…心の…扉……」
服の中に、手を忍ばせて……胸に添える。
「さあ、扉を、開こう…。…あなたの、心は…とろけて…扉の向こうへ……」
彼女の声に、誘われるまま…胸に添えた手が…動き出す。
私の手が、私以外の誰かの意思で、小波のような、愉悦を、送り出す。
その度に、私の心が、融け出して、いく。
「あぁ…は、はあぁ……」
胸だけで…今まで…感じた事もない、悦びに…身体が、震える…。
何も…考えられなく、なる…。

「あなたは…扉を、抜けて…新しい自分に、生まれ変わる……」
「……はい」
「新しい、自分に…新しい、快感を…」
「新しい……快感を…」
左手が…もう一人の私が…湿り気を帯びた、自らの割れ目へと、指を伸ばす…。
「………あっ…!」
ビクンッ!
私の身体じゃ……ない、みたい。
自分の指に…囚われて……快感に…流されて、いく。

恍惚に蕩けた…意識の中で、瞼を持ち上げると…恵理さんが…私を、見下ろして、いた……。
…………幻……?
本当の、彼女は……ソファーに…居る、はず。なのに……。
現実と……夢の…境界が、判らなく、なる…。

「あなたはもう、この快感を忘れられない」
「忘れ…られない」
本当の声なのか…想像の声なのかも……分からない…。
分かりたい…とも……思わ…ない。
恵理さんの…言葉は…絶対……。
私に、とっては…真実。
「この蕩けるような快楽に、いつでも…いつまでも、溺れていたいでしょう」
「はい………。溺れて…いたい……です」
……クチュ…。
艶かしく微笑む……恵理さん、の…指が…私の中へ…滑り込む……。
…チュプ……ヌチュ…。
…抜き出された……彼女の指、は……粘り気を帯びた…体液に…包まれていた……。
私は…目の前に…差し出された、指を…うっとりと……舐め、咥える……。
「ん…んむ…チュル……」
「そうよ…。もっと深く…深ぁく、沈んでいくの……。
 欲望の命じるまま…心の扉の向こうへ……」
恵理さんの、声が…遠くに聞こえる……。ぼんやりと…私は、その声に…従う………。
「私の言う事を守れば、あなたはもっと、大きな快楽を感じる事ができる……。
 守り続ければ……何度でも、今と同じ、気持ちいい状態になることができる…。
 あなたは…私に逆らう事は…できない……」
逆らえ…ない。逆らいたく…なんか……ない。
糸を引きながら…口から離れていく…彼女の指を…目で、追いかけながら…私は、頷く…。
「いい子ね……。それじゃぁ、これから言う事を、よぉく覚えておくのよ。
 たとえ、自分で思い出せなくても、心の奥で、あなたは言葉の通りに行動するの………」
彼女が、続ける言葉は……私の中に、染み込んで…心を…絡め獲るっていく……。
「貴女は、これから………」



………
「…ん……ぁ…」
眠そうな瞼を上げ、恵理さんが目を覚ます。
「おはようございます、恵理さん。気分はどうです」
「えぇ、と。少し、ぼっとしていますけれど…。はい、大丈夫です」
彼女が身を起こし、私をまじまじを見つめる。
「それで何か、分かりましたか?」
「それが…ごめんなさい。今回は有力な手がかりには…」
ガックリうなだれる私。
「そう、ですか…」
「で、でもっ!もう少しだったんです。次回…もしも、もう一度来て貰えるなら、次こそはきっと…」
私の言葉に、思案顔の恵理さん。しばらくして…
「分かりました。では来週、もう一度お願いします」
「はいっ!」
彼女の返答に、勢いよく私は頷く。
「では、今回はこれで…。また来週、お願いしますね美奈さん」
診療所を出る彼女を見送りながら、私は自分が、妙に気分を高揚させている事に、まるで気付いていなかった。

彼女が部屋から出ると、受付の電話が鳴り出した。
新しい患者さんからの電話で、受話器越しに若い女性が受診を依頼したい旨を、切々と話してくる。
「大丈夫、任せてください。ここに来ればきっと、貴女も心の扉を、開くことができますから……」

恵理さんが出て行く時、私の事を『先生』ではなく『美奈さん』と呼んでいた事。
電話に応対する私の表情が、まるで私らしからぬ、蕩けたような微笑だった事。
私自身がそれらの事に気付いたのは、ずっと後になってからだった……。


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