女性向ボーイズラブ催眠小説 やさしい関係





 帰り道、疲れているところに声をかけられれば、誰だって警戒するだろう。しかも自分と同じ男で、見た目からして自分と正反対ならばなおさらだ。

 俺はまさに今、その状態となっていた。
 見知らぬ相手から声を掛けられ、どう反応していいか困っていたのだ。
 普段なら無視していれば相手から引きさがる。現に俺はそうやって保険の勧誘をはじめ、上司からのお見合いまでことごとく蹴ってきたのだ。
 今では仕事の時ですら話しかけられることは稀であり、俺自体もその状態を心地よく思っていた。

 それなのに――目の前の男は何の前触れもなく話しかけて来たのだ。
「よ、お兄さん。疲れてねぇ?」

 あまりにもなれなれしく話しかけてくる男に、「疲れていない」そう短く切り返し帰路を急ごうとしたが、あまりに焦っていたのかバランスを崩す。それを何事もなかったように受け止めたのは…目の前の男だった。

「おっと、危ねぇ」
「だ、大丈夫だ…!」

 慌てて立ち上がろうとするが、力が入らない。
「疲れてんじゃねぇの? お前さんが思っている以上に」
「そんなこと…!」
 必死に返そうとするが、身体が鎖で縛りつけられたように動かない。
「な、何をした…っ?!」

「ん? これからする予定」
 あえておどけて返してくる男だが、その目は真剣そのもので…それ以上の言葉は続かなかった。
 改めてその容貌が目に入る。黒髪には一房赤いメッシュが入り、左耳にはオレンジと赤二色、右耳には緑と黄色二色のピアスが光っている。右腕には紫水晶とローズクォーツのブレスレットがはめられていた。さらに藍色のベルトを合わせた青いスーツに白いシャツは、しっかりと手入れされている。
 くたびれた自分のスーツとはとてもじゃないが、比べられない。
「だってお前さんすっごくくたびれてるのが遠目でもわかるぐらいだし」
 悪かったな。確かにいつも疲れているが、それを初対面の男に言われるのは、はっきり言って気持ちいいものではない。
「だから、少しだけ俺に時間くれよ」

 予想外の言葉に、しばらく返答をためらっていると。

「心配しなくていいぜ。俺は人の心を覗くなんて趣味はねぇし…ただ単に、お前さんの気持ちを楽にしたいんだよ」
「何で、そんなことを…っ」
「うーん、あえて言うなら…俺の趣味?」
「絶対違うだろう…」
とんでもない答えに、呆れたまま返すのがやっとだった。

「ともあれお前さん、疲れてるのは事実だろ?」
 確かに毎日雑務に追われ余計なことに煩わされ、面倒なことには変わりない。昔やっていたスポーツもいつの間にかやめてしまっていた。
「少しだけ俺に時間くれれば、疲れなんてあっという間に取ってみせるぜ」

 どう考えても眉唾な話だ。しかし明日は土曜日だし、何の予定もない。この馬鹿な男に付き合ってやるのもいいかと思った。

 ――それが新たな、否、過去に憧れていた道への目覚めという事実に気がつかないまま。


 +++++


「さ、なんもないところだけど、腰かけてゆっくりしてな? 今お茶を入れてくるからよ」

 案内されたのはお世辞にもきれいとはいいがたい、生活感あふれる部屋だった。思わず近くに散らばっている本や文房具に手を伸ばしかけるが、この状態のほうが過ごしやすい人間もいると考え直す。
 その中に溶け込んでいる、やや黄味がかった薄緑のソファが印象に残る。この散らかった部屋の中においてなにひとつ物を置いていなかったからだ。

 ソファに座ると、男がすぐにお茶をもってきた。カモミールの甘い香りが鼻をくすぐる。紅茶の入ったガラスのカップを手渡されたので、素直に飲んでカップを返す。
 普段は利用しないが、ファミレスのドリンクバーによく置いてあるから効能は知っている。疲れを取り眠気を催す優しいハーブティだ。
 …眠気を、催す…?

「ゆっくり息を吸って、吐いて…吸って、吐いて…吐くときは長めに…吸って、吐いて…」
 言葉通りに呼吸を繰り返すと、目蓋がだんだん重くなってきて。
「…吸って、吐いて…って、眠いのか…?」

 眠い…?
 そう考えたときには、既に身体がゆっくりと揺れていた。目を開けようにも、頭全体にもやがかかった感じで…

「眠いなら、もう何も考えなくていいぜ…俺の言葉通りにすればいい」

 言葉通りに…?
 疑問を感じるが、それは霞がかっていてあまりにも不鮮明で、すぐに俺の頭から消えてしまった。

「吸って、吐いて…お前さんが呼吸するたびにな、左腕がだんだん重たくなってくるぜ…そうそう、鎖巻きつけられた感じで重くなって…動かすのも面倒になる…」

 左腕が…? そんな馬鹿な。
 そう思い左腕に意識を向けて動かそうとしたが…
 動かない。
 結構力を入れているはずなのに…びくともしない。

「…吸って、吐いて…次は右腕に鎖が巻きつく…」

 呼吸をするたびに男の言葉どおり、俺の右腕が重くなっていくのを感じる。

「吸って…吐いて……。呼吸をするたびにな、お前さんの両腕に巻きついている鎖が重くなる……もう、腕動かないな? 試しに動かしてみろって」

 言われるがままに腕を動かそうとするが、指一本動かない。
 ――違う、動かないんじゃない。

「次は両脚な…左から右に重くなっていくぜ…。ほら、吸って…吐いて…」

 深く、静かな呼吸を繰り返すうちに…脚にも重みが加わってきた。
 まだ動かせるレベルだけど、俺にはもう動かす気は無い。
 この男の言う通りにしているほうが…

「吸って…吐いて…吸って…吐いて…。巻き付いた鎖が少しずつあったかくなっていく…身体全体がポカポカして気持ちいい…そうだろ?」

 この男の言う通りにしているほうが…気持ちいい。
 こくりと頷く。
 …この状態が、気持ちいい……もう、何も、考えられない…

「吸って…吐いて…はは、よだれ垂れてるな…そんなに気持ちいいか? まだ最初の最初なんだけどな…はは…
 でもな、今日はまだ最初だからここまでにするぜ。
 10数えたら…お前さんの体に巻き付いた鎖も徐々に取れて、身体も頭もすっきりした状態で目覚める…」

「10…9…8……呼吸がもっと楽になる…
 7…6…5……鎖が軽くなって、ほぐれていく…
 4…3…2……嫌なことは頭から消えていく…
 1……
 0……おはよう。少しは疲れ取れたか?」


 +++++


 目蓋を開くと、そこは確かにさっきまでいた場所だった。
「どうだったよ?」
「ああ…心なしか、身体が軽くなってる気がする…」
 素直に返すと、男は嬉しそうに笑って。
「ま、今のが基礎的な…催眠術にも行かないレベルだな」

 その言葉に身体が再びこわばる。
 催眠、術…あの、催眠術を…かけられたのか?

「あ、今あんた引いただろ? 別に危険な暗示なんて何一つ入れてないから心配するなって…ったく、そんな怪訝そうな顔するなよ」
「いや、しかし催眠術と言ったら…よくあるパターンでは相手の意識奪って、そいつの大事な存在殺させたりとか…」

 俺のたとえがよほどおかしかったのだろうか、男はひとしきり笑って。
「催眠術と言ったってよ、実際そんなことなんてできないさ。
 そこまで行くと洗脳だぜ。そもそも俺自身相手を洗脳するような趣味はないさ。
 命令通りに動くロボット作っても何も楽しくねぇからな」

 少し渋顔のまま呟く男の姿に、俺はひとつの疑問を思い――気がついたときには口に出していた。
「どうして…俺に声をかけた?」

 考えてみれば当然の疑問のはずだ。いくら疲れているように見えるからって、何もなく声をかけるなんてことは普通、ない。
 何らかの目的があって声をかけたのだろう、そう思っていると。

「そりゃさ、俺にだって相手を選ぶ権利ぐらいあるだろ」
「――?! お、まっ、それって…」

 予想の斜め上を行く答えが返ってきた。言葉通り二の句が継げないでいると。

「男が女に声かけてもただのナンパだろ? 女が男に声をかけても肉食系女子で済む。けどよ、男が男に声をかけるってのは…」
 ただの変態としか取られない、目の前の男はそれを言いたいのだろう。
 俺もそうだった。初恋の相手に似ているとはいえ、告白することができないまま終わってしまった。女性と付き合ったこともあるが、長続きすることはなかった。
 きっと、この男も歩んできた道は違えど、似たような経験があるのだ。
 確証はない、ただ、確信に近いものはあった。
 ただひとつ違うのは…

「やってることは何も変わらないのにな。気になった相手に声をかけてるだけだってのに…誰かれ構わず声かけるほうが節操なしだろうに」

 ただひとつ違うのは…俺はその事実を隠して生きてきたのに対し、彼はその事実を認めていることだ。 
 この男と一緒にいれば、俺ももう少しまっすぐ道を歩いていけるだろうか。

 そんなことを考えていると、自然に笑みがこぼれてきた。
















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